ガンダム00第一期最終回。
第一期に関しては、期待以上の出来にかなり満足でした。
「機動戦士ガンダム00」


「第一期のラストとして最高の形でした」
何度も言及してきたように、第一期で描かれたのは「独立」。
アレハンドロという「神」と「歴史」を越えて、刹那の「独立」が成されます。
ここからが本当のスタート。 第二期に向けて動き始めました。
・[アレハンドロ 埋没した個]
コーナー一族に関しては二通りの解釈をしてきましたが、「埋没した個」・「過去の歴史」・「依存という神」というものが彼の役割でした。
彼を越えることで、刹那の「独立」が描かれる。
七刀流によって、それらを断ち切った場面は本当に良かった。期待に応える活躍ぶりです。
そして、さようなら・・・ノリスケ叔父さん。
・[グラハム・刹那 独立者の激突]
グラハムさんに関して、様々な場所から「歪んでガッカリ」なんて声が聞こえてきました。
だけど、それは違うのだと僕は思います。
「不完全」な人間である以上、「歪み」が存在するのは当然。
実際、刹那自身も「歪み」を内包したままです。
「独立」した者同士の激突。
そこには善悪も優劣もあるはずがなく、相打ちという結果が残ります。
「依存」を超えた「独立」を描いた第一期。
「独立」の激突によって、一先ずの幕を降ろしました。
後のアレルヤの項でも書きますが、
「グラハムVS刹那」=「反射(本能)VS思考(想い)」
という構図のラストバトルでもありました。
本当に綺麗な構図をしてるんですよ。
誰だっ! 「ムリヤリ」だとか「蛇足」だなんて言ったのはっ! 表にで(ry
・[アレルヤ・ハレルヤとソーマ・セルゲイ 共存の形]
「独立」の次の段階として描かれるものが、「共存」。
第一期のラストエピソードにて、「共存」の欠片も描かれました。
アレルヤとハレルヤ。
「思考」と「反射」の「共存」によって生まれたのが、「完全なる超兵」。
「共存」による力は、圧倒的。
「反射」のみに傾倒している「歪んだ」ソーマでは歯が立ちません。
そんな「共存」に対抗したのもまた、「共存」でした。
ソーマ(反射)とセルゲイ(思考)による「共存」。
「歪み」を持っている「不完全」な存在であっても、共に戦うことによって、「完全」に対抗することが出来る。
第二期の対立ラインが描かれたのも、この戦い。
「完全」・「永遠」の意味合いが付加されているであろう、リボンズが率いるイノベーターによる「完全」に対して、「独立者」たちの「共存」という構図。
この第一期は、主人公サイドのパラメーターを完全に逆ベクトルに走らせていたものでしたが、ラストにおいてもそれは同様。
第二期における「共存」に対するものとしての「完全」項に、主人公サイドのアレルヤが先行したのは、なんとも00らしい展開でした。
「生きる決意」によって「独立」を成したアレルヤが、ハレルヤ(依存)を失ったのも当然の流れ。
「完全なる超兵」ではなく、「思考」だけの「人間」へと至ったことによって、彼もまた今回のソーマ・セルゲイのような「共存」へと向うのは確か。
おそらくアレルヤ(思考)・ソーマ(反射)というコンビを見られると思うのですが。
後は、刹那(思考)・グラハム(反射)なんかもおもしろそうなコンビ。
第二期において、第一期では思いも寄らなかった「共存」が見られたら熱いんだけどなぁ。
「思考(想い)と反射(本能)の共存」という形が、一足先に描かれ始めた「共存」です。
・[第一期について]
と言う訳で、第一期最終回。
今回描かれたのは、「独立」という総括と「共存」という提示。
二つのラストバトルによって、それらが描かれました。
もう、これは第二期を期待せざるを得ない!
かなり良かったですよガンダム00。
惜しむらくは、記事の書き方などの「実験」によって非常に読み辛い感想記事を書いていたこと、受験等でしばらく更新を停止していたこと。そして何より、僕の未熟さ加減によって、作品の魅力を描ききれなかったことです。
第二期が始まるまでの間に、もっと実力と経験値を上げて帰って来ますので。
また次もよろしくお願いします。
まだまだ色々と書きたいことはありますが、軽めに締めようと思います。
ではっ。
第一期に関しては、期待以上の出来にかなり満足でした。
「機動戦士ガンダム00」


「第一期のラストとして最高の形でした」
何度も言及してきたように、第一期で描かれたのは「独立」。
アレハンドロという「神」と「歴史」を越えて、刹那の「独立」が成されます。
ここからが本当のスタート。 第二期に向けて動き始めました。
・[アレハンドロ 埋没した個]
コーナー一族に関しては二通りの解釈をしてきましたが、「埋没した個」・「過去の歴史」・「依存という神」というものが彼の役割でした。
彼を越えることで、刹那の「独立」が描かれる。
七刀流によって、それらを断ち切った場面は本当に良かった。期待に応える活躍ぶりです。
そして、さようなら・・・ノリスケ叔父さん。
・[グラハム・刹那 独立者の激突]
グラハムさんに関して、様々な場所から「歪んでガッカリ」なんて声が聞こえてきました。
だけど、それは違うのだと僕は思います。
「不完全」な人間である以上、「歪み」が存在するのは当然。
実際、刹那自身も「歪み」を内包したままです。
「独立」した者同士の激突。
そこには善悪も優劣もあるはずがなく、相打ちという結果が残ります。
「依存」を超えた「独立」を描いた第一期。
「独立」の激突によって、一先ずの幕を降ろしました。
後のアレルヤの項でも書きますが、
「グラハムVS刹那」=「反射(本能)VS思考(想い)」
という構図のラストバトルでもありました。
本当に綺麗な構図をしてるんですよ。
誰だっ! 「ムリヤリ」だとか「蛇足」だなんて言ったのはっ! 表にで(ry
・[アレルヤ・ハレルヤとソーマ・セルゲイ 共存の形]
「独立」の次の段階として描かれるものが、「共存」。
第一期のラストエピソードにて、「共存」の欠片も描かれました。
アレルヤとハレルヤ。
「思考」と「反射」の「共存」によって生まれたのが、「完全なる超兵」。
「共存」による力は、圧倒的。
「反射」のみに傾倒している「歪んだ」ソーマでは歯が立ちません。
そんな「共存」に対抗したのもまた、「共存」でした。
ソーマ(反射)とセルゲイ(思考)による「共存」。
「歪み」を持っている「不完全」な存在であっても、共に戦うことによって、「完全」に対抗することが出来る。
第二期の対立ラインが描かれたのも、この戦い。
「完全」・「永遠」の意味合いが付加されているであろう、リボンズが率いるイノベーターによる「完全」に対して、「独立者」たちの「共存」という構図。
この第一期は、主人公サイドのパラメーターを完全に逆ベクトルに走らせていたものでしたが、ラストにおいてもそれは同様。
第二期における「共存」に対するものとしての「完全」項に、主人公サイドのアレルヤが先行したのは、なんとも00らしい展開でした。
「生きる決意」によって「独立」を成したアレルヤが、ハレルヤ(依存)を失ったのも当然の流れ。
「完全なる超兵」ではなく、「思考」だけの「人間」へと至ったことによって、彼もまた今回のソーマ・セルゲイのような「共存」へと向うのは確か。
おそらくアレルヤ(思考)・ソーマ(反射)というコンビを見られると思うのですが。
後は、刹那(思考)・グラハム(反射)なんかもおもしろそうなコンビ。
第二期において、第一期では思いも寄らなかった「共存」が見られたら熱いんだけどなぁ。
「思考(想い)と反射(本能)の共存」という形が、一足先に描かれ始めた「共存」です。
・[第一期について]
と言う訳で、第一期最終回。
今回描かれたのは、「独立」という総括と「共存」という提示。
二つのラストバトルによって、それらが描かれました。
もう、これは第二期を期待せざるを得ない!
かなり良かったですよガンダム00。
惜しむらくは、記事の書き方などの「実験」によって非常に読み辛い感想記事を書いていたこと、受験等でしばらく更新を停止していたこと。そして何より、僕の未熟さ加減によって、作品の魅力を描ききれなかったことです。
第二期が始まるまでの間に、もっと実力と経験値を上げて帰って来ますので。
また次もよろしくお願いします。
まだまだ色々と書きたいことはありますが、軽めに締めようと思います。
ではっ。
ロックオンについては覚悟していたのですが、クリスティナはキツ過ぎる・・・。
数少ないお気に入りキャラだったのに、まさかこんなことになるなんて。
おもいっきり脳天チョップを喰らわせたくなりましたよ。 (←誰になのかは言わない)
「機動戦士ガンダム00」

「生きているのか死んでいるのか」
リヒティのセリフ、「生きているのか死んでいるのか、わからない」
まさにこれこそが、今回のポイントでした。
・[死を感じて]
死を実感して、人は生を知るらしいです。
そんな「死の実感→生の気付き」というものが、この第一期を通して描かれてきたもののひとつです。
今回のクリスティナとリヒティの最期。
そこで描かれたものも、「死の実感→生の気付き」というものでした。

リヒティがクリスティナを庇ったことによって、彼の半身が機械であることが判明しました。
今までは気付きもしなかった、その事実。
死に瀕したあの場面において、ようやくその事実が明らかになります。
これもまた、「死の実感」が明らかにしたもの。

クリスティナについては言うまでもなく。
ずっと探してきた「イイ男」と、ようやく出会うことが出来ました。
それに気付いたのが「死の実感」という場面であったのが、あまりにも切なすぎました。
だけど、彼女たちの二人共、最期には笑っていられた。想いを託すことも出来た。
それだけが、救いだったと思います。

「最期に笑っていられたならば」
・[神からの独立]
第一期もうひとつのテーマ。
感想二十一話において書きましたが、
00のテーマは、「共存」。
「自立した者が共に在る」。それが「共存」です。
第一期にて「独立」を、第二期にて「共存」を描くのでしょう。
「神」を求めていた刹那が、自分の意思で進もうとしている。
「独立」を成そうとしている。
「神」として現れたアレハンドロを打ち破ることによって、彼の「独立」が成されるのでしょう。
ちなみに、コーナー一族ラスボス説の可能性は、かなり低くなってきました。
アレハンドロさんはもう十分暴れ回ったので、お仕事は終わりのようです。 (たぶん)
それよりも気になるのは、アレハンドロから「独立」することになるリボンズ。
「疎外感」や「孤立」を感じる王留美。 (←確証はありませんが)
「孤立」したネーナ、沙慈など。
第二期に向けて、着々と「独立」・「孤立」する者が増えています。
・[振ると弾けます]
そんな「独立」の流れに逆らっていたのが、コーラサワーさん。
今までは、00の世界観からギャグキャラとして浮いていた(孤立していた)のですが、後半からはご主人様に巡り会っての大活躍。
先んじて「孤立→居場所の獲得」という段階に進んでいるのかなぁ、と観ていました。
なのですが、今回まさかの爆死。
GN-X下半身が残っていたので、生きている可能性はありますが。 (←そちらの確率の方が高いのは、彼が激運スキルを装備しているから)
生きてるのならば、今回の戦績から出世して、第二期において活躍しそうな予感。
「孤立」している人物に、「居場所」を与えることになると妄想。
ギャグキャラから脱却していないという、悪寒。
・[いよいよ第一期ラスト]
そんな訳で、今回は第一期のテーマ「死の実感→生の気付き」というものを、ミクロに収束して描いていました。
そして、いよいよ最終回。
最後の「独立」が、収束的に描かれるのでしょう。
(蛇足)
クリスティナ・ショックで絶望状態だった僕の耳に、聞き慣れた声が。
乃絵だっ! まだ乃絵がいるじゃないかっ! (←高垣さん的な意味で)
数少ないお気に入りキャラだったのに、まさかこんなことになるなんて。
おもいっきり脳天チョップを喰らわせたくなりましたよ。 (←誰になのかは言わない)
「機動戦士ガンダム00」

「生きているのか死んでいるのか」
リヒティのセリフ、「生きているのか死んでいるのか、わからない」
まさにこれこそが、今回のポイントでした。
・[死を感じて]
死を実感して、人は生を知るらしいです。
そんな「死の実感→生の気付き」というものが、この第一期を通して描かれてきたもののひとつです。
今回のクリスティナとリヒティの最期。
そこで描かれたものも、「死の実感→生の気付き」というものでした。

リヒティがクリスティナを庇ったことによって、彼の半身が機械であることが判明しました。
今までは気付きもしなかった、その事実。
死に瀕したあの場面において、ようやくその事実が明らかになります。
これもまた、「死の実感」が明らかにしたもの。

クリスティナについては言うまでもなく。
ずっと探してきた「イイ男」と、ようやく出会うことが出来ました。
それに気付いたのが「死の実感」という場面であったのが、あまりにも切なすぎました。
だけど、彼女たちの二人共、最期には笑っていられた。想いを託すことも出来た。
それだけが、救いだったと思います。

「最期に笑っていられたならば」
・[神からの独立]
第一期もうひとつのテーマ。
感想二十一話において書きましたが、
00のテーマは、「共存」。
「自立した者が共に在る」。それが「共存」です。
第一期にて「独立」を、第二期にて「共存」を描くのでしょう。
「神」を求めていた刹那が、自分の意思で進もうとしている。
「独立」を成そうとしている。
「神」として現れたアレハンドロを打ち破ることによって、彼の「独立」が成されるのでしょう。
ちなみに、コーナー一族ラスボス説の可能性は、かなり低くなってきました。
アレハンドロさんはもう十分暴れ回ったので、お仕事は終わりのようです。 (たぶん)
それよりも気になるのは、アレハンドロから「独立」することになるリボンズ。
「疎外感」や「孤立」を感じる王留美。 (←確証はありませんが)
「孤立」したネーナ、沙慈など。
第二期に向けて、着々と「独立」・「孤立」する者が増えています。
・[振ると弾けます]
そんな「独立」の流れに逆らっていたのが、コーラサワーさん。
今までは、00の世界観からギャグキャラとして浮いていた(孤立していた)のですが、後半からはご主人様に巡り会っての大活躍。
先んじて「孤立→居場所の獲得」という段階に進んでいるのかなぁ、と観ていました。
なのですが、今回まさかの爆死。
GN-X下半身が残っていたので、生きている可能性はありますが。 (←そちらの確率の方が高いのは、彼が激運スキルを装備しているから)
生きてるのならば、今回の戦績から出世して、第二期において活躍しそうな予感。
「孤立」している人物に、「居場所」を与えることになると妄想。
ギャグキャラから脱却していないという、悪寒。
・[いよいよ第一期ラスト]
そんな訳で、今回は第一期のテーマ「死の実感→生の気付き」というものを、ミクロに収束して描いていました。
そして、いよいよ最終回。
最後の「独立」が、収束的に描かれるのでしょう。
(蛇足)
クリスティナ・ショックで絶望状態だった僕の耳に、聞き慣れた声が。
乃絵だっ! まだ乃絵がいるじゃないかっ! (←高垣さん的な意味で)
今まで、何度も兄貴の死亡フラグネタを使ってきたけれど、結局は死なないと・・・。
あ、あにッ・・・・・・いや、まだわからない! わからないさ!
「機動戦士ガンダム00」

「兄貴の口癖、覚えてるかい?」
今回のポイントは、「復讐」。
ロックオンの結末と共に、もうひとつのテーマが浮かび上がってきました。
・[ロックオン 復讐者の結末]

「復讐者としての彼は散った」
何故、ロックオンは散ったのか。
ティエリアを庇って右目を損傷したから。仲間を守ったから?
たぶん違う。
彼は「復讐」に殺されたのでしょう。
今回も、彼が出撃したのはアリーへの復讐の為。
仲間を守るためなら、深追いする必要もなかった。
復讐に憑かれた彼の結末は、けして幸せでも、満足でもなく。
「復讐という否定」の結末、それもまた、「否定」でした。

「ダリル・ダッチは復讐の象徴」
ハワードの仇。ダリル・ダッチもロックオンと同様に、復讐者として散っていく。
ロックオンの敗因。それは、「空気を読まなかった」ダリルのせいではないんですね。
ダリル・ダッチというキャラは、「復讐の象徴」なのです。
ロックオンは「復讐」に憑かれて戦った。だから、その「復讐」に自らの右腕を潰される。
「狙い打つ」為の右腕を、「復讐」というものに持っていかれたから、彼は散ってしまった。
ロックオンを殺したのは他でもない、彼自身の「復讐」でした。
この、
「ダリル・ダッチ」=「復讐」=「右腕(狙い打つ腕)の喪失」
という構図は、ダリル・ダッチがニ重の意味で「復讐という否定」の「否定」となっていて、あまりにも完璧でした。 本当に上手い。
・[もうひとつのテーマ]
「復讐という否定」の「否定」。
ここから観えてくるのが、ガンダム00のもうひとつのテーマ。
それが、「贖罪と赦し」。
家族を失うという「実感」は僕にはなく、偉そうに「赦せ」なんてことは言えませんが、だけど言いたいことはあります。
「赦す」ということは、決して「諦める」ということではありません。
「認める」けれど、「諦める」ではなく、「戦う」。
「否定」ではなく、「肯定」の為に、「戦う」。
それが「赦す」ということだと、僕は考えています。
それはロックオンに対してだけではなく、刹那や沙慈、ネーナやスメラギさん、アレルヤにティエリア。
ほとんどの主要キャラにとって、重要なポイントとなるものです。
「歪んだ世界」を変える為に戦う刹那。
だけど、まだ彼は「ソラン」の「赦し」の段階には入っていないように思います。
今回のスメラギさん、「刹那、彼を助けて」。
現在の刹那では、ロックオンを「救済」することが出来ませんでした。
未だ成されぬ「双方向の救い」。そこに至った時、初めて誰かを「救済」出来るのかも知れません。
沙慈は赦すことが出来るのか。
ネーナは赦されるのか。
スメラギさん、ティエリアは自身を赦すことが出来るのか。
第2期のテーマとなってくるのは、おそらくこの「贖罪と赦し」なのだと思います。
自分と他人を赦すことが出来るのか。「赦し」の先に待つ「再生」。
・[兄貴リフレイン]
「赦すこと」が出来なかったロックオンは、志半ばで倒れます。
復讐者としての彼は死にましたが、まだまだ心配なヤツラがいるんだ! 兄貴は帰ってきてくれるはずさ!
兄貴の口癖に「同じ言葉を繰り返す」というものがありましたが、あれは自分に言い聞かせるという意味だけではなくて、きっと「兄貴リフレイン」をする為のフリなんですよ!
以前の感想記事で妄想した「英雄登場プロット」ですが、ロックオンでも良いかも知れません。
第二期では復讐者としてではなく、マイスターの兄貴として復活することを期待しています。
これからは、「兄貴復活フラグ」を探し続けることにしよう。 そうしよう。
「やっぱり俺って・・・」を連想しますが気にしない。気にしたら負けだと思う。
あ、あにッ・・・・・・いや、まだわからない! わからないさ!
「機動戦士ガンダム00」

「兄貴の口癖、覚えてるかい?」
今回のポイントは、「復讐」。
ロックオンの結末と共に、もうひとつのテーマが浮かび上がってきました。
・[ロックオン 復讐者の結末]

「復讐者としての彼は散った」
何故、ロックオンは散ったのか。
ティエリアを庇って右目を損傷したから。仲間を守ったから?
たぶん違う。
彼は「復讐」に殺されたのでしょう。
今回も、彼が出撃したのはアリーへの復讐の為。
仲間を守るためなら、深追いする必要もなかった。
復讐に憑かれた彼の結末は、けして幸せでも、満足でもなく。
「復讐という否定」の結末、それもまた、「否定」でした。

「ダリル・ダッチは復讐の象徴」
ハワードの仇。ダリル・ダッチもロックオンと同様に、復讐者として散っていく。
ロックオンの敗因。それは、「空気を読まなかった」ダリルのせいではないんですね。
ダリル・ダッチというキャラは、「復讐の象徴」なのです。
ロックオンは「復讐」に憑かれて戦った。だから、その「復讐」に自らの右腕を潰される。
「狙い打つ」為の右腕を、「復讐」というものに持っていかれたから、彼は散ってしまった。
ロックオンを殺したのは他でもない、彼自身の「復讐」でした。
この、
「ダリル・ダッチ」=「復讐」=「右腕(狙い打つ腕)の喪失」
という構図は、ダリル・ダッチがニ重の意味で「復讐という否定」の「否定」となっていて、あまりにも完璧でした。 本当に上手い。
・[もうひとつのテーマ]
「復讐という否定」の「否定」。
ここから観えてくるのが、ガンダム00のもうひとつのテーマ。
それが、「贖罪と赦し」。
家族を失うという「実感」は僕にはなく、偉そうに「赦せ」なんてことは言えませんが、だけど言いたいことはあります。
「赦す」ということは、決して「諦める」ということではありません。
「認める」けれど、「諦める」ではなく、「戦う」。
「否定」ではなく、「肯定」の為に、「戦う」。
それが「赦す」ということだと、僕は考えています。
それはロックオンに対してだけではなく、刹那や沙慈、ネーナやスメラギさん、アレルヤにティエリア。
ほとんどの主要キャラにとって、重要なポイントとなるものです。
「歪んだ世界」を変える為に戦う刹那。
だけど、まだ彼は「ソラン」の「赦し」の段階には入っていないように思います。
今回のスメラギさん、「刹那、彼を助けて」。
現在の刹那では、ロックオンを「救済」することが出来ませんでした。
未だ成されぬ「双方向の救い」。そこに至った時、初めて誰かを「救済」出来るのかも知れません。
沙慈は赦すことが出来るのか。
ネーナは赦されるのか。
スメラギさん、ティエリアは自身を赦すことが出来るのか。
第2期のテーマとなってくるのは、おそらくこの「贖罪と赦し」なのだと思います。
自分と他人を赦すことが出来るのか。「赦し」の先に待つ「再生」。
・[兄貴リフレイン]
「赦すこと」が出来なかったロックオンは、志半ばで倒れます。
復讐者としての彼は死にましたが、まだまだ心配なヤツラがいるんだ! 兄貴は帰ってきてくれるはずさ!
兄貴の口癖に「同じ言葉を繰り返す」というものがありましたが、あれは自分に言い聞かせるという意味だけではなくて、きっと「兄貴リフレイン」をする為のフリなんですよ!
以前の感想記事で妄想した「英雄登場プロット」ですが、ロックオンでも良いかも知れません。
第二期では復讐者としてではなく、マイスターの兄貴として復活することを期待しています。
これからは、「兄貴復活フラグ」を探し続けることにしよう。 そうしよう。
「やっぱり俺って・・・」を連想しますが気にしない。気にしたら負けだと思う。
トリハダ展開きたあああぁぁぁぁぁぁ!!!!!
まさかの展開に感動しましたよ! 1期のクライマックスは期待以上の出来です。
「機動戦士ガンダム00」

「誰かさんみたいにガンダムに惚れた」
イオリアが新たな力を解放し、平和への想いを託した。
いや、おかしい。 何か、おかしい。
あんな悪人面の科学者が、平和なんか願うはずないよッ! (←偏見という名のミクロ視点)
まぁ冗談はさておいて、気になるのは彼の真の目的。
エイフマン教授がGN粒子から導き出した仮説に対する回答は提示されず。
・まだ伏せられたままのカードが残っている現状。
・現在の刹那は、必ずしも肯定されるものではないということ。
・新たな力は、「赤い輝き」と「月を象徴とする」ということ。
良い人のように描かれたイオリアですが、かなり不確定要素が残されたまま。
これは、まだひっくり返る可能性が高そうです。
・[刹那 同じ舞台で踊るのは]

「最近、あまりにも肯定的に描かれ過ぎている」
刹那は、まだ生き方を見つけて「独立」した段階であって、既に「独立」しているサーシェスと同じ舞台に立てるようになったという段階。
彼に「想い」があるのと同じように、サーシェスにも「想い」がある。
対立する二人に善悪はなく、「独立」した者同士が争っている。
今のところ「悪」として描かれているサーシェスですが、現在の刹那との違いはあるのでしょうか。
「独立」は第一段階であって、まだ、その先を見つめなければならない。
平和へと至るには、「独立」だけでは足りない。
今のままでは、刹那は「肯定」に足り得ない。
「2つの名前」を持つ二人が、それぞれどのように「自分の名前」と向き合うのか。どのように歩んでいくのか。
そこら辺も、今後の注目ポイントだと観ています。
・[ネーナ 天使を見上げる者ひとり]

「乙女にこの表情はどうなのだ? 」
王留美が彼らを回収するのでしょう。
誰だ!? 間違えてるじゃないか! (←お前だ)
予測外の展開に驚きました。
トリニティが敵になることはありえないので、1期では回収されると観ていたのですが。
まさかサーシェスによる乗っ取りなんて展開があるなんて、思いも寄りませんでした。
くそう! 擬似GNドライブをねだってたのは、釣りだったのか! 見事に釣られたクマー!
トリニティの役割は、未だ見えず。
ただの噛ませ犬ではないことは確か。
ポイントは、
ヨハンの「マイスターになるために生み出された」というセリフ。
「独立」を成せず、「役割」をも果たせず。
ネーナが「独立」、もしくは「役割」のどちらに転ぶのかが気になる所。
そんなネーナに対する描写。
「トランザムシステム」を地上から見上げる場面は、かつて刹那が0ガンダムとネーナを見上げた時と同じ状況。
「赤い輝き」を見上げ、彼女は天使に何を想うのか。
これが描かれるのは、2期になってからでしょう。
・[トランザムシステム 2つの解釈]

「月を背にして」
まさかの新能力発動に、叫びをあげて乗り出しました。
かっけぇ! かっけぇ! (←興奮のあまり、語彙が貧困に)
イオリア演説2のおかげで、「平和への力」のように見える「トランザムシステム」。
「純粋な力」である「トランザムシステム」ですが、その描写に注目。
まるで、擬似GNドライブを思わせる「赤い輝き」。
そして、太陽ではなく「月」をバック(象徴)に舞う姿。
これらの描写から読み取れるものを、ひとまず2つ上げてみようと思います。
ひとつが、「悪魔の力」としての描写。
今まで「悪魔」として描かれてきた擬似GNドライブへの類似から、この力もまた、今後「悪魔」的な役割を持つ。
もうひとつが、「共存」としての描写。
青と赤、太陽と月の力の「共存」状態としての「トランザムシステム」。
もう少し深く考えられることもありますが、簡単にはこの2つ。
イオリアの目的次第で、「トランザムシステム」の持つ意味も変わってきます。
(場合によっては、トリニティの擬似GNドライブも)
スローネアインが大破した時、今まで「悪魔」とされてきた擬似GN粒子が、あんなにも綺麗に描写されていたのにも注目。
というわけで、今回は確かにもの凄く熱く、正義の味方らしい展開ではあったものの、その裏には何かありそうな描写もちらほら。
1期のラストに向けて、何か大逆転が起こりそうな気配が漂ってきました。
だから、前から言ってきたあれですよ!
リボンズがガンダム「GN-004」のパイロットで、重要場面で状況をひっくり返すんですよ!
(追記)
ナドレが「GN-004」とのご指摘を受けました。やっぱりある程度は情報も集めた方が良いのかなぁ。
出来るだけ作品中の流れで楽しみたいのですが、感想記事を書くのなら、必要なのかも知れません。 (というよりも、作中描写を見逃していただけですか!? )
まさかの展開に感動しましたよ! 1期のクライマックスは期待以上の出来です。
「機動戦士ガンダム00」

「誰かさんみたいにガンダムに惚れた」
イオリアが新たな力を解放し、平和への想いを託した。
いや、おかしい。 何か、おかしい。
あんな悪人面の科学者が、平和なんか願うはずないよッ! (←偏見という名のミクロ視点)
まぁ冗談はさておいて、気になるのは彼の真の目的。
エイフマン教授がGN粒子から導き出した仮説に対する回答は提示されず。
・まだ伏せられたままのカードが残っている現状。
・現在の刹那は、必ずしも肯定されるものではないということ。
・新たな力は、「赤い輝き」と「月を象徴とする」ということ。
良い人のように描かれたイオリアですが、かなり不確定要素が残されたまま。
これは、まだひっくり返る可能性が高そうです。
・[刹那 同じ舞台で踊るのは]

「最近、あまりにも肯定的に描かれ過ぎている」
刹那は、まだ生き方を見つけて「独立」した段階であって、既に「独立」しているサーシェスと同じ舞台に立てるようになったという段階。
彼に「想い」があるのと同じように、サーシェスにも「想い」がある。
対立する二人に善悪はなく、「独立」した者同士が争っている。
今のところ「悪」として描かれているサーシェスですが、現在の刹那との違いはあるのでしょうか。
「独立」は第一段階であって、まだ、その先を見つめなければならない。
平和へと至るには、「独立」だけでは足りない。
今のままでは、刹那は「肯定」に足り得ない。
「2つの名前」を持つ二人が、それぞれどのように「自分の名前」と向き合うのか。どのように歩んでいくのか。
そこら辺も、今後の注目ポイントだと観ています。
・[ネーナ 天使を見上げる者ひとり]

「乙女にこの表情はどうなのだ? 」
王留美が彼らを回収するのでしょう。
誰だ!? 間違えてるじゃないか! (←お前だ)
予測外の展開に驚きました。
トリニティが敵になることはありえないので、1期では回収されると観ていたのですが。
まさかサーシェスによる乗っ取りなんて展開があるなんて、思いも寄りませんでした。
くそう! 擬似GNドライブをねだってたのは、釣りだったのか! 見事に釣られたクマー!
トリニティの役割は、未だ見えず。
ただの噛ませ犬ではないことは確か。
ポイントは、
ヨハンの「マイスターになるために生み出された」というセリフ。
「独立」を成せず、「役割」をも果たせず。
ネーナが「独立」、もしくは「役割」のどちらに転ぶのかが気になる所。
そんなネーナに対する描写。
「トランザムシステム」を地上から見上げる場面は、かつて刹那が0ガンダムとネーナを見上げた時と同じ状況。
「赤い輝き」を見上げ、彼女は天使に何を想うのか。
これが描かれるのは、2期になってからでしょう。
・[トランザムシステム 2つの解釈]

「月を背にして」
まさかの新能力発動に、叫びをあげて乗り出しました。
かっけぇ! かっけぇ! (←興奮のあまり、語彙が貧困に)
イオリア演説2のおかげで、「平和への力」のように見える「トランザムシステム」。
「純粋な力」である「トランザムシステム」ですが、その描写に注目。
まるで、擬似GNドライブを思わせる「赤い輝き」。
そして、太陽ではなく「月」をバック(象徴)に舞う姿。
これらの描写から読み取れるものを、ひとまず2つ上げてみようと思います。
ひとつが、「悪魔の力」としての描写。
今まで「悪魔」として描かれてきた擬似GNドライブへの類似から、この力もまた、今後「悪魔」的な役割を持つ。
もうひとつが、「共存」としての描写。
青と赤、太陽と月の力の「共存」状態としての「トランザムシステム」。
もう少し深く考えられることもありますが、簡単にはこの2つ。
イオリアの目的次第で、「トランザムシステム」の持つ意味も変わってきます。
(場合によっては、トリニティの擬似GNドライブも)
スローネアインが大破した時、今まで「悪魔」とされてきた擬似GN粒子が、あんなにも綺麗に描写されていたのにも注目。
というわけで、今回は確かにもの凄く熱く、正義の味方らしい展開ではあったものの、その裏には何かありそうな描写もちらほら。
1期のラストに向けて、何か大逆転が起こりそうな気配が漂ってきました。
だから、前から言ってきたあれですよ!
リボンズがガンダム「GN-004」のパイロットで、重要場面で状況をひっくり返すんですよ!
(追記)
ナドレが「GN-004」とのご指摘を受けました。やっぱりある程度は情報も集めた方が良いのかなぁ。
出来るだけ作品中の流れで楽しみたいのですが、感想記事を書くのなら、必要なのかも知れません。 (というよりも、作中描写を見逃していただけですか!? )
最近、言葉の節々に「ガンダム」が出てきます。
「うわ、ミスった! ガンダムや!」
「お前なんというガンダム!」
・・・・・・これが、セツナ病なのか! (←末期)
「機動戦士ガンダム00」

「この場面は熱かったッ!」
今回のポイントは、「独立」と「孤立」。
・[刹那 第三の神ではなく、独立を]

「ここでのマリナさんは第三の神」
上の場面、銃(武力)を捨ててソランに戻ることを促すマリナさん。
「サーシェスによる神」と「Oガンダムによる神」、かつて刹那がそれらを見出した場所と同じところで、第三の神である「マリナさんによる神」を彼は見出します。
ですが、今まで「神」に依りかかって生きてきた彼が、ここに来て遂に「己の生き方」を選択。
刹那の「独立」の瞬間。
それに呼応するかのように、プトレマイオスによるヴェーダ(神)からの「独立」も成され、「STAND−ALONE」が起動する。
この「独立」シーンは熱すぎですよッ! 素晴らしい!
生命の危機的状況に、独立という生きる選択をして、想いを轟かせる。
まさに生命の輝き、「刹那の輝き」でした。
「永遠」の中では、「刹那」でしかない「生命」なのだけれど、だからこその輝きがある。
刹那がそれを表すのならば、彼と対になるものは「永遠」。
「再生」という名を冠するリボンズは、「永遠」と「完全」の象徴なのでしょう。
リボンズは結局のところ、ラスボスではない。
そういう風に僕は観ていますが、普通に彼がラスボスである可能性も消えていません。
・[アレハンドロ コーナー一族の解釈]

「前回に引き続き、コーナー一族を語る」
ガンダム00は影響を受けている?のコメント欄にて少しだけ言及していたアレハンドロによる「世界統一」。
割と当たっていたようですね。 (かなり外れている所もありますが)
どうやらアレハンドロの目的は「世界統一」とのこと。
だけど僕が注目しているのは、前回に引き続き彼が語った「コーナー一族」。
この「コーナー一族」をどのように解釈すればよいのか。
感想二十話では「過ちの歴史」の象徴であると書きましたが、他にも別の考え方があります。
今回の「独立」や、リボンズの「神性」に対するもの。
「神」などにはなれず、アレハンドロ自身も「人間の渦」に飲み込まれているにしかすぎない。完全な「イレギュラー」ではない。
そういうことを表している可能性もあります。
そちら側から考えた場合には、王留美のラスボス説が濃厚になってきます。
個人的には、彼女はラスボスではないと観ていますが。
・[トリニティ 孤立から進む先は]

「ラグナから切り捨てられ、孤立したトリニティ」
完全に「孤立」したトリニティ。
王留美が彼らを回収するのでしょう。
20話での彼らの接触もそうですが、感想二十話にて言及した王留美の「疎外感」とも結びつきそうな感じがします。
王留美ラスボス説が強まるなかで、僕は彼女は救済される側なのだと主張してみる。
これまでのトリニティの描写では、確かに彼らの中に「壊れた」ような部分も見受けられましたが、それでも完全な悪としては描かれていなかった。
世界や視聴者から「いらない子」扱いされた彼らですが、そういう「理解できない他者」の役割を背負っているのがトリニティであって、そんな「他者」との「共存」がガンダム00のメインテーマだと観ています。
なので、第ニ期にて
「トリニティ復活」→「暗躍or敵対」→「王留美と共に救済」→「共闘」
そういう流れで彼らが描かれるという妄想をしています。
・[独立から共存へ]

「戦争根絶に必要なもの」
感想六話にて
「自立した者が共に在る」。それが「共存」なんです。
そういう主張をしましたが、今回の「独立」によってその第一段階が達成されました。
第一期にて「独立」を。
第二期にて「共存」を描くのでしょう。
今回は「独立」出来なかったティエリアですが、ロックオンのおかげでそこも上手く行きそうな感じです。
ロックオン兄貴も念願の死亡フラグを回避した(?)ようですし、良かった良かった。
あれ? 死亡フラグネタがもう使えない? オチに困ったときに使う予定だったのに・・・。
「うわ、ミスった! ガンダムや!」
「お前なんというガンダム!」
・・・・・・これが、セツナ病なのか! (←末期)
「機動戦士ガンダム00」

「この場面は熱かったッ!」
今回のポイントは、「独立」と「孤立」。
・「STAND−ALONE」オペレーションシステム
・プトレマイオス
・刹那
・トリニティ
・ダリル・ダッチ
・沙慈
・ロックオン
・[刹那 第三の神ではなく、独立を]

「ここでのマリナさんは第三の神」
上の場面、銃(武力)を捨ててソランに戻ることを促すマリナさん。
「サーシェスによる神」と「Oガンダムによる神」、かつて刹那がそれらを見出した場所と同じところで、第三の神である「マリナさんによる神」を彼は見出します。
ですが、今まで「神」に依りかかって生きてきた彼が、ここに来て遂に「己の生き方」を選択。
刹那の「独立」の瞬間。
それに呼応するかのように、プトレマイオスによるヴェーダ(神)からの「独立」も成され、「STAND−ALONE」が起動する。
この「独立」シーンは熱すぎですよッ! 素晴らしい!
生命の危機的状況に、独立という生きる選択をして、想いを轟かせる。
まさに生命の輝き、「刹那の輝き」でした。
「永遠」の中では、「刹那」でしかない「生命」なのだけれど、だからこその輝きがある。
刹那がそれを表すのならば、彼と対になるものは「永遠」。
「再生」という名を冠するリボンズは、「永遠」と「完全」の象徴なのでしょう。
リボンズは結局のところ、ラスボスではない。
そういう風に僕は観ていますが、普通に彼がラスボスである可能性も消えていません。
・[アレハンドロ コーナー一族の解釈]

「前回に引き続き、コーナー一族を語る」
ガンダム00は影響を受けている?のコメント欄にて少しだけ言及していたアレハンドロによる「世界統一」。
割と当たっていたようですね。 (かなり外れている所もありますが)
どうやらアレハンドロの目的は「世界統一」とのこと。
だけど僕が注目しているのは、前回に引き続き彼が語った「コーナー一族」。
この「コーナー一族」をどのように解釈すればよいのか。
感想二十話では「過ちの歴史」の象徴であると書きましたが、他にも別の考え方があります。
今回の「独立」や、リボンズの「神性」に対するもの。
「神」などにはなれず、アレハンドロ自身も「人間の渦」に飲み込まれているにしかすぎない。完全な「イレギュラー」ではない。
そういうことを表している可能性もあります。
そちら側から考えた場合には、王留美のラスボス説が濃厚になってきます。
個人的には、彼女はラスボスではないと観ていますが。
・[トリニティ 孤立から進む先は]

「ラグナから切り捨てられ、孤立したトリニティ」
完全に「孤立」したトリニティ。
王留美が彼らを回収するのでしょう。
20話での彼らの接触もそうですが、感想二十話にて言及した王留美の「疎外感」とも結びつきそうな感じがします。
王留美ラスボス説が強まるなかで、僕は彼女は救済される側なのだと主張してみる。
これまでのトリニティの描写では、確かに彼らの中に「壊れた」ような部分も見受けられましたが、それでも完全な悪としては描かれていなかった。
世界や視聴者から「いらない子」扱いされた彼らですが、そういう「理解できない他者」の役割を背負っているのがトリニティであって、そんな「他者」との「共存」がガンダム00のメインテーマだと観ています。
なので、第ニ期にて
「トリニティ復活」→「暗躍or敵対」→「王留美と共に救済」→「共闘」
そういう流れで彼らが描かれるという妄想をしています。
・[独立から共存へ]

「戦争根絶に必要なもの」
感想六話にて
「自立した者が共に在る」。それが「共存」なんです。
そういう主張をしましたが、今回の「独立」によってその第一段階が達成されました。
第一期にて「独立」を。
第二期にて「共存」を描くのでしょう。
今回は「独立」出来なかったティエリアですが、ロックオンのおかげでそこも上手く行きそうな感じです。
ロックオン兄貴も念願の死亡フラグを回避した(?)ようですし、良かった良かった。
あれ? 死亡フラグネタがもう使えない? オチに困ったときに使う予定だったのに・・・。
1期終了まであと少しながらも、感想記事を再開。
「機動戦士ガンダム00」

「リューミンが 夢に出たので この画像」
今回のポイントは、「移動」。
・[世界の情勢]
これは言わずもがな。後にコントロールされるであろう新型モビルスーツによる「パワーバランス」の移動。
「いい男」や「美人」という言葉に対する反応や、「後ろからなんてズルイ」というセリフで強調されたように、非常に子供っぽい(認識不足な)トリニティ側。
それに対して、「propaganda」や「primitive」という普段使わないような(←僕だけ!?)セリフで大人っぽさ(認識の深さ)が強調されたサーシェス。
今までは、圧倒的な力を持った「子供たち」、力を持たない「大人たち」という関係であったものが、新型の登場によって「力」という面でほぼ同等に変化してしまいます。
「認識」、「思想」という面で「子供」なソレスタルビーイングが押されるのは確か。
「大人」な国連側は、その分ミクロ的(個人主義的)な考えが強そうなので、そこに対してはトリニティ側、プトレマイオス側の「結束」が上回っているので、壊滅することはないと思われますが。
・[各キャラの立ち位置 ]
一番驚いたのが、セルゲイさん。
ソーマの新型機乗に不安を感じているようなので安心していたら、いきなり「スゴイ!」なんて「子供っぽい」セリフを口走ると来たもんだ!
今まで「大人」として描かれてきた彼が、力を手に入れた途端に「子供」っぽく描写されたのには、本当に驚きました。
擬似GNドライブの危険性(中毒性)と、「認識不足」を上手く描写していた場面です。
今まで「子供」っぽく描写されていたルイスが、非常に「大人」っぽく「移動」しているのも、おもしろい所です。
ミクロ視点な「子供」ではなく、沙慈の将来を考えられる「大人」として。
まぁ、「自身の幸せ」という形の「ミクロ視点」も、後に獲得されるのでしょうが。
・[王留美]
前回から引き続いて、アレハンドロ・リボンズ寄りの考え方ですよ。 という描写がなされました。
彼女からは微妙にですが、「疎外感」のようなものを感じるので、そこら辺が「世界が変わりさえすれば良い」という考え方と関係しているのかも知れません。
[例]
・序盤のアレハンドロと対峙する場面における、バーなのに「お酒が飲めない」という描写。 (アレハンドロとの違い、その場との不適合さ)
・ソレスタルビーイングにおけるエージェントという立ち位置。
・[月の「本拠地」にたどり着いた、アレハンドロとリボンズ]
アレハンドロが突然リボンズのことを「天使」だとか言い出した時は、何事か!? と思いましたよ。
今まで「大人」しくしていた彼ですが、動き出してみれば「子供」のように饒舌になるという。
セルゲイさんの場合と同じで、ここではリボンズに対する「認識不足」を強調したかったのでしょう。
この描写によって、「リボンズ>アレハンドロ」という関係が示された訳なんですが、僕は相変わらずアレハンドロがラスボスであると観ています。
というか、普通の人間を超越したような存在であるリボンズがラスボスであるならば、この作品の「なぜ人は争うのか」という命題に対して、少し弱いような気がします。
やはりラスボスは「普通の人間」であって欲しいなぁ。
「普通の人間」の「弱さ」が争いを生むという。
リボンズみたいな「神」を打ち破るのは別の所で。 「神なんていない」のだから。
あと、アレハンドロが言っていた「コーナー一族」。
これはやっぱり、アレハンドロ(若しくは彼の一族)がラスボスになる可能性を表していると思います。
代々、「計画」への「イレギュラー」な介入を画策してきた「コーナー一族」ですが、それは別の角度から観ると「歴史」とすることが出来ます。
争いが絶えなかった「過去の歴史」。
争いのない「新たな歴史」を刻む為に、「過ちの歴史」を越える必要があります。
その「過ちの歴史」の代表として、「コーナー一族」が出てくるんじゃないでしょうか。
「普通の人間」による、「過ちの歴史」を越えて行く。
なので、1期ではリボンズに裏切られるのかもしれませんが、他のキャラが「認識不足」を克服して行くのと同じように、今回「認識不足」を露呈したアレハンドロもまた、「認識不足」を克服する。
そして2期において、真のラスボスとして彼が君臨する(もしくは、一族の誰かが登場する)のだと思います。
まぁ、これらはまだ単なる「予測」でしかありませんが。
だけど、「進化するラスボス」ってカッコ良くありませんか? リボンズも何だかんだで仲間になったら面白そうだし。 (←こっちはありえない)
00制作発表での「1stを越える」という宣言は、この「過去の歴史を越える」という形で、作中にて描かれるのだと観ています。
という訳で、今回は「移動」を中心に、「大人」らしさと「子供」らしさの相違から「認識不足」を描き出し、今後に起こるであろう「移動」の示唆までをも含んだ、相変わらず非常に濃い内容でした。
やばいなぁ、やっぱり00は観ても、妄想しても、記事を書いても楽しい最高の作品です。
この「中毒性」で身を滅ぼさなければ良いのだけれど・・・。
「機動戦士ガンダム00」

「リューミンが 夢に出たので この画像」
今回のポイントは、「移動」。
・世界の情勢
・各キャラの立ち位置
・トレインに乗れない、沙慈
・サーシェスの車で、謎と臨死に向った絹江さん
・軌道エレベーターで、宇宙へ上がった(次の準備に入った)マイスター
・月の「本拠地」にたどり着いた、アレハンドロとリボンズ
・[世界の情勢]
これは言わずもがな。後にコントロールされるであろう新型モビルスーツによる「パワーバランス」の移動。
「いい男」や「美人」という言葉に対する反応や、「後ろからなんてズルイ」というセリフで強調されたように、非常に子供っぽい(認識不足な)トリニティ側。
それに対して、「propaganda」や「primitive」という普段使わないような(←僕だけ!?)セリフで大人っぽさ(認識の深さ)が強調されたサーシェス。
今までは、圧倒的な力を持った「子供たち」、力を持たない「大人たち」という関係であったものが、新型の登場によって「力」という面でほぼ同等に変化してしまいます。
「認識」、「思想」という面で「子供」なソレスタルビーイングが押されるのは確か。
「大人」な国連側は、その分ミクロ的(個人主義的)な考えが強そうなので、そこに対してはトリニティ側、プトレマイオス側の「結束」が上回っているので、壊滅することはないと思われますが。
・[各キャラの立ち位置 ]
一番驚いたのが、セルゲイさん。
ソーマの新型機乗に不安を感じているようなので安心していたら、いきなり「スゴイ!」なんて「子供っぽい」セリフを口走ると来たもんだ!
今まで「大人」として描かれてきた彼が、力を手に入れた途端に「子供」っぽく描写されたのには、本当に驚きました。
擬似GNドライブの危険性(中毒性)と、「認識不足」を上手く描写していた場面です。
今まで「子供」っぽく描写されていたルイスが、非常に「大人」っぽく「移動」しているのも、おもしろい所です。
ミクロ視点な「子供」ではなく、沙慈の将来を考えられる「大人」として。
まぁ、「自身の幸せ」という形の「ミクロ視点」も、後に獲得されるのでしょうが。
・[王留美]
前回から引き続いて、アレハンドロ・リボンズ寄りの考え方ですよ。 という描写がなされました。
彼女からは微妙にですが、「疎外感」のようなものを感じるので、そこら辺が「世界が変わりさえすれば良い」という考え方と関係しているのかも知れません。
[例]
・序盤のアレハンドロと対峙する場面における、バーなのに「お酒が飲めない」という描写。 (アレハンドロとの違い、その場との不適合さ)
・ソレスタルビーイングにおけるエージェントという立ち位置。
・[月の「本拠地」にたどり着いた、アレハンドロとリボンズ]
アレハンドロが突然リボンズのことを「天使」だとか言い出した時は、何事か!? と思いましたよ。
今まで「大人」しくしていた彼ですが、動き出してみれば「子供」のように饒舌になるという。
セルゲイさんの場合と同じで、ここではリボンズに対する「認識不足」を強調したかったのでしょう。
この描写によって、「リボンズ>アレハンドロ」という関係が示された訳なんですが、僕は相変わらずアレハンドロがラスボスであると観ています。
というか、普通の人間を超越したような存在であるリボンズがラスボスであるならば、この作品の「なぜ人は争うのか」という命題に対して、少し弱いような気がします。
やはりラスボスは「普通の人間」であって欲しいなぁ。
「普通の人間」の「弱さ」が争いを生むという。
リボンズみたいな「神」を打ち破るのは別の所で。 「神なんていない」のだから。
あと、アレハンドロが言っていた「コーナー一族」。
これはやっぱり、アレハンドロ(若しくは彼の一族)がラスボスになる可能性を表していると思います。
代々、「計画」への「イレギュラー」な介入を画策してきた「コーナー一族」ですが、それは別の角度から観ると「歴史」とすることが出来ます。
争いが絶えなかった「過去の歴史」。
争いのない「新たな歴史」を刻む為に、「過ちの歴史」を越える必要があります。
その「過ちの歴史」の代表として、「コーナー一族」が出てくるんじゃないでしょうか。
「普通の人間」による、「過ちの歴史」を越えて行く。
なので、1期ではリボンズに裏切られるのかもしれませんが、他のキャラが「認識不足」を克服して行くのと同じように、今回「認識不足」を露呈したアレハンドロもまた、「認識不足」を克服する。
そして2期において、真のラスボスとして彼が君臨する(もしくは、一族の誰かが登場する)のだと思います。
まぁ、これらはまだ単なる「予測」でしかありませんが。
だけど、「進化するラスボス」ってカッコ良くありませんか? リボンズも何だかんだで仲間になったら面白そうだし。 (←こっちはありえない)
00制作発表での「1stを越える」という宣言は、この「過去の歴史を越える」という形で、作中にて描かれるのだと観ています。
という訳で、今回は「移動」を中心に、「大人」らしさと「子供」らしさの相違から「認識不足」を描き出し、今後に起こるであろう「移動」の示唆までをも含んだ、相変わらず非常に濃い内容でした。
やばいなぁ、やっぱり00は観ても、妄想しても、記事を書いても楽しい最高の作品です。
この「中毒性」で身を滅ぼさなければ良いのだけれど・・・。
次回の20話から(おそらく)感想記事を再開するので、ここで一度19話までで気になった部分のまとめをしてみようと思います。
「機動戦士ガンダム00」

「ソルに対する言及を中心に」
・[GNドライブ]
GNドライブが表しているものは何か。
それはおそらく、「個の肯定」なのだと思います。
通信やレーダーを無効化するのは、他からの影響を受けつけない絶対的な「聖者の衣」を羽織っているということなので、ガンダムの「神聖性」であるとか「絶対性」を詠っているのだと観ていました。
ですが、スローネ達の登場によって、それが本当に表しているのは「個の肯定」であるということが分かりました。
スローネドライの能力「GNステルスフィールド」は、いわば「布教」であって、
トリニティ側のGNドライヴ[T]の[T]には、いくつか意味合いが付加されているのでしょうが、そのうちのひとつはやっぱり「taboo」(禁忌、禁制)なのだと思います。

「断絶の象徴」
彼らの「taboo」な強制断絶に対して、プトレマイオス側のGNドライブが表しているのが、「個の肯定」。
他者とは決定的に異なる。
そんな存在の「特異性」を極端に表したのが、GNドライブによるガンダムの「不可視性」であって、そのガンダムが持つ「特異性」を肯定的に描くことによって行われるのが、「個の肯定」なのだと思います。
そして、その個が全体へと影響を与え、新たな関係であるとか概念などが「創造」される。
スローネ側とは完全に逆ベクトルの性質を持っているのが、プトレマイオス側のGNドライブなのでしょう。
ところで、ひとつ気になるのは第19話で明かされたティエリアの「トライアルシステム」。
これは「個の否定」じゃね? レインボウの野郎、相変わらず論が破綻してやがるw
とか言われそうなんで、こちらもきちんとした説明を。
ティエリアが「トライアルシステム」を使用できるのは、「ナドレ」の形態において。
ここで思い出して欲しいのが、「ナドレ」の由来である「両性具有者」。
これはつまり、「共存不可の事象における共存」を表していて、僕が「(旧)感想」において主張してきたガンダム00のメインテーマ:「共存」を「ナドレ」が体現しているということです。
「トライアルシステム」は、
それぞれ異なる「個」を、「共存」という概念によってまとめ上げる。
ということの象徴なのでしょう。

「共存の象徴」
さて、しかし元来の「トライアルシステム」の目的は何なのか。
そのひとつの可能性は、後にお話しする「イオリアの最終目的」の項目にて。
・[妄想タイム]
(長くなるので、ここでひとまず小休止。いつもの妄想でも)
僕が物語の核であると見なしているものは、「愛と熱さ」。熱いシーンを作るには何が必要かということに、重きを置いています。
GNドライブの「不可視性」というものを利用して、一体どんな熱いシーンが作れるか考えていましたが、その中で一番描かれる可能性が高いものは「英雄登場」のプロットかなぁ、と観ています。
世界の危機的状況。
駆けつけるのか、どこにいるのかすら分からないガンダム。
だけど、人々は彼らの登場を信じ、それに答える形で突然ガンダムが登場する。
こういう王道的な展開で描かれるんじゃないかなぁ。
案外、この「ガンダム00」という作品のテーマである「信仰」とも合致していると思うんですけど。
見ること、触れることが出来ない、そもそも存在するのかすら怪しい抽象概念なんだけど、それでも人々はその存在を信じていて、人々が信じている(信仰している)からこそ、それに答える形でその概念は生まれる。
このように、上に書いた展開をそのまま「信仰論」へと変換することが可能です。
さらに、「人々が待望→登場」という流れは、現在までの「人々が望んでいない→介入」という流れを完全に逆ベクトルへと転換することになるので、おもしろいと思うのですが。
第1話のエクシア登場は、そもそも「英雄登場」プロットのパラメーターを逆ベクトルに走らせたものでした。
第1話との対比の為に、軌道エレベーターへの「介入」ではなく、軌道エレベーター倒壊に対する「防衛」という形で「英雄登場」をするのでしょう。
「壊すなよ!? 壊すなよ!? も〜う! 壊すなって言ったじゃん!」という只ならぬ芸人臭が軌道エレベーターから漂っていますしね。
少し真面目なことを言えば、「天上と地上を繋ぐもの」の象徴である軌道エレベーターが、あんなにも細く、壊れやすそうなものであるのは非常に綺麗な作り方です。 (共存の難しさと、脆さを表現。だからこそ大切だということも)
「共存」の象徴である軌道エレベーターは、一度壊されてそれに対する代替物としてガンダムがくるのか、再建するのか。もしくは、皆で守りきるのか。
いずれにしても楽しみです。
・[ティエリア・アーデ]

「ティエリアのカッコ良さは異常」
ヴェーダにアクセスすることが可能であり、「トライアルシステム」という能力まで持つ(おそらく)人工生命体。
彼が「共存」の象徴である「ナドレ」を駆っていることから、彼自身も「イオリアが目指した共存」を内包する存在となるのだと観ることが出来ます。
それでは、彼が「内包」することになる「共存」とは何か。
第10話において、初めて「ナドレ」を世界に晒した時、彼は自身を見失って複数の一人称を使用しました。
そこから、ティエリアのアイデンティティは、
「自分 = ヴェーダ = ティエリア・アーデ」
というものである事が分かります。
人工生命体である彼は、ヴェーダに蓄積された様々な人間達の情報を取り入れることによって成長してきたのでしょうが、実際に他の人間と深く接触したことがなかったので、彼は自身に「ティエリア・アーデ」を見出す事が出来なかった。
膨大な量の情報を包括している「ひとつ」。それが彼にとっての「ヴェーダ」であって、その「ヴェーダ」と「自分」を重ね合わせることによって初めて、彼は「ティエリア・アーデ」を見出すことが出来たのでしょう。
あの場面、「ナドレ」を晒した時。
彼は「自分」と「ヴェーダ」の隔離を痛感し、人間達の渦に飲み込まれてしまいます。 (八つ当たりという非常に人間らしい方法で緊急回避しますが)
ティエリアの物語、それは「ティエリア・アーデ」の獲得。
ヴェーダには「ない」のだけれども、ティエリアの中には「ある」もの。それに彼が気付いた時、獲得は成されるのでしょう。
ここで問題になってくるのが、ティエリアの「アイデンティティ獲得」がイオリアの計画の中心であるかどうか。
もしも、それが中心ならば――。
その可能性から話を進めてみようと思います。
・[イオリアの最終目的]

「壮大な妄想の幕が上がる」
ティエリアがアイデンティティを獲得するということはつまり、情報集積体のようなものであるヴェーダには「ない」ものを獲得するということです。
情報、予測。それらのものはいずれも「過去」の性質を内包していて、また「全体」の性質(マクロ視点など)も同様に持っています。
それに対して、アイデンティティや個人の想いというものは、「未来」の性質(可能性)を、それと同時に「個」の性質(ミクロ視点など)を内包しています。
「過去と未来」、もしくは「全体と個」の共存内包がイオリアの計画の中心であったのならば、その最終目的として推測できるものに、
「世界の創造」、「抽象概念の顕在化」
というものがあります。
後者はガンダム00のテーマ的にはおもしろそうですし、すごく綺麗な目的にはなるのですが、やっぱり前者の方が可能性が高いんだろうなぁ、と観ています。
ティエリアやリボンズ。 「生命の生成」
GNドライブ。 「無限エネルギーの獲得」
それらを成した科学者が次に作り出そうとするものは、やっぱり「世界の創造」じゃないでしょうか。
新たな世界を創造することによってイオリアは「神」となり、「歪みのない完全な世界」は実現する。
「ガンダムSEED DESTINY」でデュランダル議長が成そうとした「ディスティニープラン」の強化版みたいな感じで。
それに必要となるのが「過去と未来」、「全体と個」、つまり「世界」を内包した存在(ティエリア)と、GN粒子。
「ヴェーダ→ティエリア」というラインで彼を生み出し、マイスターたちとの活動を通して成長させる。
そして今度は、「ティエリア→ヴェーダ」という流れで彼を巻き込んでしまい、「ナドレ」によるガンダムの収束。擬似太陽精製からのGN世界創造という順に計画は進んでいく・・・。
・・・えぇ、妄想過多です。本当にありが(ry
・[イレギュラー達]

「リボンズがある意味主人公」
もしこれらが正しいのならば、ティエリアがヴェーダ離れをする状況が必要となります。
それにはヴェーダの予測を超えた事態が発生しなければならない。
その「イレギュラー」要因が、リボンズなのでしょう。
彼の役回りは「SEED DESTINY」のキラ側である、いわゆる「ディスティニーブレイカー」のそれであって、彼自身は定められ、関与出来ない状況からの脱却なり変革を望んで行動して行く。
「世界が変われば良い」というリューミンの考え方と、通じる所があるのではないかなぁ。定められた計画なり運命を変えたいという想いは。
「予測内のイレギュラー」として仕組まれているリボンズですが、彼が利用しようとしている人間、アレハンドロ・コーナーは同時にリボンズを利用しようとしている。
アレハンドロこそ完全なるイレギュラー、「予測外のイレギュラー」なのでしょう。
彼の支配下(?)にあるスローネ達もまた、「予測外のイレギュラー」。
イオリアの目的が何であるにしても、「予測外のイレギュラー」が介入してくることによって物語は、完成されたシナリオから未知の可能性を多分に含んだカオスな状況へと歪んでいきます。
もしかしたらそこから、さらにもう1段階。
今度は「視聴者」という「予測外のイレギュラー」がガンダム00に介入していく。
そんな構図を狙っている可能性も、この作品は内包しています。
もう本当にね、このシナリオの快感は並じゃないですよ。
ここまで来たら構成を観ただけでカタルシスを感じてしまいます。 スゲェや。
・[おまけ]
マイスターズに関するいくつかの言及。
・刹那はソランの過去を(マリナによって)受け入れる。
そうすることで、彼自身の「共存」を見つけていくのだと思います。
刹那であり、ソラン。
お隣さんであり、マイスター。
少年にして、刺客。
・ロックオンだけは既に「共存」を内包している。 (矛盾という形で)
情報をリークしているのも、案外彼なのかもしれません。
「そんな、兄貴が裏切り者だったなんて」
「ああ、そういうことさ、悪いな」
(一悶着あった後)
「やっぱり兄貴は、兄貴だったんだ」
「・・・ちっ、損な役回りだぜ、・・・まったくよ」
(ガクっ)
「兄貴ーーーーー!!!」
・今回の記事で書いたような妄想が当たっていたのならば、ティエリアってのはヒロインのポジションですよね。
なるほど、ティエリアは昨今流行のツンデレヒロインなのか。
刹那×ティエリア
・・・アッー! そんな趣味は持ってないよー!
・アレルヤは、以前にも書いたようにハレルヤとの「共存」。
・・・え? 他に何か? ないよ。
「機動戦士ガンダム00」

「ソルに対する言及を中心に」
・[GNドライブ]
GNドライブが表しているものは何か。
それはおそらく、「個の肯定」なのだと思います。
通信やレーダーを無効化するのは、他からの影響を受けつけない絶対的な「聖者の衣」を羽織っているということなので、ガンダムの「神聖性」であるとか「絶対性」を詠っているのだと観ていました。
ですが、スローネ達の登場によって、それが本当に表しているのは「個の肯定」であるということが分かりました。
スローネドライの能力「GNステルスフィールド」は、いわば「布教」であって、
世界を「断絶」し、コミュニケーションによる「創造を抑止」し、ひとつの概念で「縛り付ける」。
そういう働きを持っています。トリニティ側のGNドライヴ[T]の[T]には、いくつか意味合いが付加されているのでしょうが、そのうちのひとつはやっぱり「taboo」(禁忌、禁制)なのだと思います。

「断絶の象徴」
彼らの「taboo」な強制断絶に対して、プトレマイオス側のGNドライブが表しているのが、「個の肯定」。
全体に埋没せずに、たしかにそこに存在している。 (個の肯定)
そこに存在するだけで、他に影響を及ぼす。 (全体の創造)
他者とは決定的に異なる。
そんな存在の「特異性」を極端に表したのが、GNドライブによるガンダムの「不可視性」であって、そのガンダムが持つ「特異性」を肯定的に描くことによって行われるのが、「個の肯定」なのだと思います。
そして、その個が全体へと影響を与え、新たな関係であるとか概念などが「創造」される。
スローネ側とは完全に逆ベクトルの性質を持っているのが、プトレマイオス側のGNドライブなのでしょう。
内側へと収束していき、そこから外へと広がっていくのが、プトレマイオス側。
外側へと散布していき、そこから内へと縛りつけていくのが、スローネ側。
ところで、ひとつ気になるのは第19話で明かされたティエリアの「トライアルシステム」。
これは「個の否定」じゃね? レインボウの野郎、相変わらず論が破綻してやがるw
とか言われそうなんで、こちらもきちんとした説明を。
ティエリアが「トライアルシステム」を使用できるのは、「ナドレ」の形態において。
ここで思い出して欲しいのが、「ナドレ」の由来である「両性具有者」。
これはつまり、「共存不可の事象における共存」を表していて、僕が「(旧)感想」において主張してきたガンダム00のメインテーマ:「共存」を「ナドレ」が体現しているということです。
「トライアルシステム」は、
それぞれ異なる「個」を、「共存」という概念によってまとめ上げる。
ということの象徴なのでしょう。

「共存の象徴」
さて、しかし元来の「トライアルシステム」の目的は何なのか。
そのひとつの可能性は、後にお話しする「イオリアの最終目的」の項目にて。
・[妄想タイム]
(長くなるので、ここでひとまず小休止。いつもの妄想でも)
僕が物語の核であると見なしているものは、「愛と熱さ」。熱いシーンを作るには何が必要かということに、重きを置いています。
GNドライブの「不可視性」というものを利用して、一体どんな熱いシーンが作れるか考えていましたが、その中で一番描かれる可能性が高いものは「英雄登場」のプロットかなぁ、と観ています。
世界の危機的状況。
駆けつけるのか、どこにいるのかすら分からないガンダム。
だけど、人々は彼らの登場を信じ、それに答える形で突然ガンダムが登場する。
こういう王道的な展開で描かれるんじゃないかなぁ。
案外、この「ガンダム00」という作品のテーマである「信仰」とも合致していると思うんですけど。
見ること、触れることが出来ない、そもそも存在するのかすら怪しい抽象概念なんだけど、それでも人々はその存在を信じていて、人々が信じている(信仰している)からこそ、それに答える形でその概念は生まれる。
このように、上に書いた展開をそのまま「信仰論」へと変換することが可能です。
さらに、「人々が待望→登場」という流れは、現在までの「人々が望んでいない→介入」という流れを完全に逆ベクトルへと転換することになるので、おもしろいと思うのですが。
第1話のエクシア登場は、そもそも「英雄登場」プロットのパラメーターを逆ベクトルに走らせたものでした。
第1話との対比の為に、軌道エレベーターへの「介入」ではなく、軌道エレベーター倒壊に対する「防衛」という形で「英雄登場」をするのでしょう。
「壊すなよ!? 壊すなよ!? も〜う! 壊すなって言ったじゃん!」という只ならぬ芸人臭が軌道エレベーターから漂っていますしね。
少し真面目なことを言えば、「天上と地上を繋ぐもの」の象徴である軌道エレベーターが、あんなにも細く、壊れやすそうなものであるのは非常に綺麗な作り方です。 (共存の難しさと、脆さを表現。だからこそ大切だということも)
「共存」の象徴である軌道エレベーターは、一度壊されてそれに対する代替物としてガンダムがくるのか、再建するのか。もしくは、皆で守りきるのか。
いずれにしても楽しみです。
・[ティエリア・アーデ]

「ティエリアのカッコ良さは異常」
ヴェーダにアクセスすることが可能であり、「トライアルシステム」という能力まで持つ(おそらく)人工生命体。
彼が「共存」の象徴である「ナドレ」を駆っていることから、彼自身も「イオリアが目指した共存」を内包する存在となるのだと観ることが出来ます。
それでは、彼が「内包」することになる「共存」とは何か。
第10話において、初めて「ナドレ」を世界に晒した時、彼は自身を見失って複数の一人称を使用しました。
そこから、ティエリアのアイデンティティは、
「自分 = ヴェーダ = ティエリア・アーデ」
というものである事が分かります。
人工生命体である彼は、ヴェーダに蓄積された様々な人間達の情報を取り入れることによって成長してきたのでしょうが、実際に他の人間と深く接触したことがなかったので、彼は自身に「ティエリア・アーデ」を見出す事が出来なかった。
膨大な量の情報を包括している「ひとつ」。それが彼にとっての「ヴェーダ」であって、その「ヴェーダ」と「自分」を重ね合わせることによって初めて、彼は「ティエリア・アーデ」を見出すことが出来たのでしょう。
あの場面、「ナドレ」を晒した時。
彼は「自分」と「ヴェーダ」の隔離を痛感し、人間達の渦に飲み込まれてしまいます。 (八つ当たりという非常に人間らしい方法で緊急回避しますが)
ティエリアの物語、それは「ティエリア・アーデ」の獲得。
ヴェーダには「ない」のだけれども、ティエリアの中には「ある」もの。それに彼が気付いた時、獲得は成されるのでしょう。
ここで問題になってくるのが、ティエリアの「アイデンティティ獲得」がイオリアの計画の中心であるかどうか。
もしも、それが中心ならば――。
その可能性から話を進めてみようと思います。
・[イオリアの最終目的]

「壮大な妄想の幕が上がる」
ティエリアがアイデンティティを獲得するということはつまり、情報集積体のようなものであるヴェーダには「ない」ものを獲得するということです。
情報、予測。それらのものはいずれも「過去」の性質を内包していて、また「全体」の性質(マクロ視点など)も同様に持っています。
それに対して、アイデンティティや個人の想いというものは、「未来」の性質(可能性)を、それと同時に「個」の性質(ミクロ視点など)を内包しています。
「過去と未来」、もしくは「全体と個」の共存内包がイオリアの計画の中心であったのならば、その最終目的として推測できるものに、
「世界の創造」、「抽象概念の顕在化」
というものがあります。
後者はガンダム00のテーマ的にはおもしろそうですし、すごく綺麗な目的にはなるのですが、やっぱり前者の方が可能性が高いんだろうなぁ、と観ています。
ティエリアやリボンズ。 「生命の生成」
GNドライブ。 「無限エネルギーの獲得」
それらを成した科学者が次に作り出そうとするものは、やっぱり「世界の創造」じゃないでしょうか。
新たな世界を創造することによってイオリアは「神」となり、「歪みのない完全な世界」は実現する。
「ガンダムSEED DESTINY」でデュランダル議長が成そうとした「ディスティニープラン」の強化版みたいな感じで。
それに必要となるのが「過去と未来」、「全体と個」、つまり「世界」を内包した存在(ティエリア)と、GN粒子。
「ヴェーダ→ティエリア」というラインで彼を生み出し、マイスターたちとの活動を通して成長させる。
そして今度は、「ティエリア→ヴェーダ」という流れで彼を巻き込んでしまい、「ナドレ」によるガンダムの収束。擬似太陽精製からのGN世界創造という順に計画は進んでいく・・・。
・・・えぇ、妄想過多です。本当にありが(ry
・[イレギュラー達]

「リボンズがある意味主人公」
もしこれらが正しいのならば、ティエリアがヴェーダ離れをする状況が必要となります。
それにはヴェーダの予測を超えた事態が発生しなければならない。
その「イレギュラー」要因が、リボンズなのでしょう。
彼の役回りは「SEED DESTINY」のキラ側である、いわゆる「ディスティニーブレイカー」のそれであって、彼自身は定められ、関与出来ない状況からの脱却なり変革を望んで行動して行く。
「世界が変われば良い」というリューミンの考え方と、通じる所があるのではないかなぁ。定められた計画なり運命を変えたいという想いは。
「予測内のイレギュラー」として仕組まれているリボンズですが、彼が利用しようとしている人間、アレハンドロ・コーナーは同時にリボンズを利用しようとしている。
アレハンドロこそ完全なるイレギュラー、「予測外のイレギュラー」なのでしょう。
彼の支配下(?)にあるスローネ達もまた、「予測外のイレギュラー」。
イオリアの目的が何であるにしても、「予測外のイレギュラー」が介入してくることによって物語は、完成されたシナリオから未知の可能性を多分に含んだカオスな状況へと歪んでいきます。
もしかしたらそこから、さらにもう1段階。
今度は「視聴者」という「予測外のイレギュラー」がガンダム00に介入していく。
そんな構図を狙っている可能性も、この作品は内包しています。
もう本当にね、このシナリオの快感は並じゃないですよ。
ここまで来たら構成を観ただけでカタルシスを感じてしまいます。 スゲェや。
・[おまけ]
マイスターズに関するいくつかの言及。
・刹那はソランの過去を(マリナによって)受け入れる。
そうすることで、彼自身の「共存」を見つけていくのだと思います。
刹那であり、ソラン。
お隣さんであり、マイスター。
少年にして、刺客。
・ロックオンだけは既に「共存」を内包している。 (矛盾という形で)
情報をリークしているのも、案外彼なのかもしれません。
「そんな、兄貴が裏切り者だったなんて」
「ああ、そういうことさ、悪いな」
(一悶着あった後)
「やっぱり兄貴は、兄貴だったんだ」
「・・・ちっ、損な役回りだぜ、・・・まったくよ」
(ガクっ)
「兄貴ーーーーー!!!」
・今回の記事で書いたような妄想が当たっていたのならば、ティエリアってのはヒロインのポジションですよね。
なるほど、ティエリアは昨今流行のツンデレヒロインなのか。
刹那×ティエリア
・・・アッー! そんな趣味は持ってないよー!
・アレルヤは、以前にも書いたようにハレルヤとの「共存」。
・・・え? 他に何か? ないよ。
