行ってきましたテアトル梅田。観てきましたよ第二章。
入れ替わりで第一章の観客が出てきたのですが、聞こえてきたのは前回の記事でも書いた「色分け」について熱く語る声。
皆もしっかり観てるんだなぁ、と当たり前なことに感動しました。
感動ついでに感化もされて、今回は後半からネタバレ感想の方も書こうと思っています。
(ちなみに原作は未読。見当違いなこと書いてたら軽く笑い飛ばしてください)
「空の境界 殺人考察(前) 」

もう本当に、第二章に関して言えるのはひと言。
「美しい」
静かで流麗、だけどフィルムから溢れ出す力強い「衝動」。
第一章に負けず劣らず、高品質のクオリティーを誇っていました。
アクションシーンは第一章より少なく、ともすると「地味」という評価が下されそうなんですが、実はかなり「激しいもの」が内在している作品となっています。
まるで「彼女」のようにね。
・[第二章 視聴ポイント]
今回も、視聴においてのポイントをいくつか。
[二面性]
第二章最大のポイントとなるのが、この「二面性」というもの。
物語自体もそうなんですが、ここでは映像面に特化した言及を。
「美しい」と先ほど書いたように、今回は「背景描写」が本当に美しい。
これ実写なんでしょ? と疑うほどの美しさで描かれています。
それに対して、人物に関しては基本的に色調を抑えて、ある種のアニメ的・平面的な描写がなされています。
その「現実的」な背景と、「アニメ的」な人物描写を組み合わせることによって、ビジュアル面からの「二面性」を浮かび上がらせています。
「背景」を中心に観てみると、「実写」を見ている様に。
逆に「人物」を中心に観てみると、「アニメ」を見ていると認識する。
そこに「二面性」というものが生まれています。
だけど、本当はそうじゃない。
「背景」と「人物」によってひとつの場面、ひとつの空間が存在している。
注目する部分によっては「異なるもの」に観えたとしても、そこには確かな「中心」があります。
ビジュアル面から見えてくる「二面性」が表しているものも、「式と識」から観えてくるものも同じ。
第一章の記事でも書きましたが、
世界の「曖昧さ」を観せて、そこから、確かにある「閃光と衝動」を。
おそらく「空の境界」においての重要概念なのだと観ているものですが、「二面性」からも、この概念へと至ることが出来ます。
不確かな自分。不確かな状況。不確かな世界。
その中で、まるで閃光のように輝く衝動。確かに感じるもの。
「不確かな状況」で、黒桐はなぜ式を信じられるのか。
それが一番大きな例となっています。
[流動]
式の服装の変化。
今作中での流動もポイントですが、それ以上に重要なのは「赤皮ジャンの着方」。
第一章と第二章において、その着方に決定的な違いがあります。
社会の窓を全開にしている人は、心がオープンなんだとか。 (←無頓着とも言う)
そこまで極端ではないのですが、ジャンパーを閉めていることが意味するものは、
「ジャンパーを閉めている=心を閉ざしている」
ということになります。
「皮ジャンを開く」という「流動」にも注目を。
もうひとつの「流動」が、「天候」。
こちらはネタバレ込みの内容になりますので、記事の後半にて。
[分類]
第一章の色分け以上に、第二章においての「分類」は重要な要素。
今回の「分類」は、「式」と「識」のカテゴライズが一番の核。
これをやれば、ラストのセリフが意味しているもの。そこに込められた「美しさ」を理解し易くなります。
これも詳しくはネタバレになってしまうので、後半にて。
(ここから先はネタバレ込みの内容になりますので、ご注意下さい)
“劇場版「空の境界」 殺人考察(前) 感想(後半からネタバレ込み)”の続きを読む>>
入れ替わりで第一章の観客が出てきたのですが、聞こえてきたのは前回の記事でも書いた「色分け」について熱く語る声。
皆もしっかり観てるんだなぁ、と当たり前なことに感動しました。
感動ついでに感化もされて、今回は後半からネタバレ感想の方も書こうと思っています。
(ちなみに原作は未読。見当違いなこと書いてたら軽く笑い飛ばしてください)
「空の境界 殺人考察(前) 」

もう本当に、第二章に関して言えるのはひと言。
「美しい」
静かで流麗、だけどフィルムから溢れ出す力強い「衝動」。
第一章に負けず劣らず、高品質のクオリティーを誇っていました。
アクションシーンは第一章より少なく、ともすると「地味」という評価が下されそうなんですが、実はかなり「激しいもの」が内在している作品となっています。
まるで「彼女」のようにね。
・[第二章 視聴ポイント]
今回も、視聴においてのポイントをいくつか。
[二面性]
第二章最大のポイントとなるのが、この「二面性」というもの。
物語自体もそうなんですが、ここでは映像面に特化した言及を。
「美しい」と先ほど書いたように、今回は「背景描写」が本当に美しい。
これ実写なんでしょ? と疑うほどの美しさで描かれています。
それに対して、人物に関しては基本的に色調を抑えて、ある種のアニメ的・平面的な描写がなされています。
その「現実的」な背景と、「アニメ的」な人物描写を組み合わせることによって、ビジュアル面からの「二面性」を浮かび上がらせています。
「背景」を中心に観てみると、「実写」を見ている様に。
逆に「人物」を中心に観てみると、「アニメ」を見ていると認識する。
そこに「二面性」というものが生まれています。
だけど、本当はそうじゃない。
「背景」と「人物」によってひとつの場面、ひとつの空間が存在している。
注目する部分によっては「異なるもの」に観えたとしても、そこには確かな「中心」があります。
ビジュアル面から見えてくる「二面性」が表しているものも、「式と識」から観えてくるものも同じ。
第一章の記事でも書きましたが、
世界の「曖昧さ」を観せて、そこから、確かにある「閃光と衝動」を。
おそらく「空の境界」においての重要概念なのだと観ているものですが、「二面性」からも、この概念へと至ることが出来ます。
不確かな自分。不確かな状況。不確かな世界。
その中で、まるで閃光のように輝く衝動。確かに感じるもの。
「不確かな状況」で、黒桐はなぜ式を信じられるのか。
それが一番大きな例となっています。
[流動]
式の服装の変化。
今作中での流動もポイントですが、それ以上に重要なのは「赤皮ジャンの着方」。
第一章と第二章において、その着方に決定的な違いがあります。
社会の窓を全開にしている人は、心がオープンなんだとか。 (←無頓着とも言う)
そこまで極端ではないのですが、ジャンパーを閉めていることが意味するものは、
「ジャンパーを閉めている=心を閉ざしている」
ということになります。
「皮ジャンを開く」という「流動」にも注目を。
もうひとつの「流動」が、「天候」。
こちらはネタバレ込みの内容になりますので、記事の後半にて。
[分類]
第一章の色分け以上に、第二章においての「分類」は重要な要素。
今回の「分類」は、「式」と「識」のカテゴライズが一番の核。
これをやれば、ラストのセリフが意味しているもの。そこに込められた「美しさ」を理解し易くなります。
これも詳しくはネタバレになってしまうので、後半にて。
(ここから先はネタバレ込みの内容になりますので、ご注意下さい)
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原作を読まずに映画館に突撃。まさかここまで魅せられるとは。
たぶんネタバレなしで、感想と視聴においてのポイントなどを。
「空の境界 俯瞰風景」

まさか、ここまで興奮するなんて思いませんでした。終始ふるえていましたよ!
クオリティーの高さが半端じゃない。
こんなにも「魅せられた」作品には、本当に久しぶりに出会いました。
帰りの電車の中でも、脳内・エンドレス・リピート。 反芻っ! 反芻っ!
・[俯瞰風景]
ところで、第一章のタイトルである「俯瞰風景」。
脳内ビデオを堪能しながら、窓から外を眺め思ったのですが、電車の中における個の視点(認識)というものも、「俯瞰風景」と同質のものではないかと。
電車の内と外の「世界」においての境界。 そこに「認識」というものが・・・。
まぁ車内の俯瞰性なんてものは、取り立てて言及することでも、熟考することでもないのですが。 (というよりも、間違えてる気もする)
要は、「俯瞰風景」というものは、高い位置からの「視点」だけではなく、僕達の日常あらゆる場面、場所において存在するものじゃないかと。
この作品が描こうとしているのは、そういう日常において存在する「境界」。
あまりにも曖昧な狭間(世界)に、生と死の強烈な「閃光と衝動」を、提示しようとしているのではないでしょうか。
だから、「認識の曖昧さ」を責めるような構成を取っている。
最後のメガネ君(←名前をまだ覚えていない)のセリフも、どうやら叙述トリック的なもののようですし。
世界の「曖昧さ」を観せて、そこから、確かにある「閃光と衝動」を。
そういう作品であるように、僕の「視点」には観えました。
もちろん、第一章のみの「俯瞰」では、作品を正確に掴むことなんて出来ないでしょうから、たぶんここで書いたこともズレた「視点」なのかも知れませんが。
第一章、まだ泳ぎ始めたばかり、作品の深淵には、まだまだ遠い。
泳ぎ甲斐がありそうで、ワクワクしています。
・・・たぶん、溺れるけど。
・[レンコンは好きです]
でも、この作品の楽しみ方は、やっぱり上のように「抽象」するだけではなくて、「余白を味わう」のがポイントだと思っています。
「レンコンは穴の部分が上手い!」と言うように、「余白」を楽しむのが、こういう作品の一番美味しい食べ方じゃないかと(今のところ)考えています。
と言うわけで、7人監督制バンザイ! 第ニ章が早く観たいぞ! (←色々と尚早)
各章の違いに注目しています。 (劇場版「空の境界」は7人監督制らしい)
・[第一章 視聴ポイント]
各章で作風は変わってくるらしいので、ひとまず第一章における視聴のポイントを。
[色分け]
これは原作準拠なのでしょうか? たぶん映像化されてから、初めて付加された要素だと思いますが。
場面に応じて、それぞれのカテゴリーに応じた「色分け」がなされています。
同じ舞台でも、ある場面では「赤」を象徴的に。別の場面では「青」を。
主人公、式の服装に関しても、「青」から「赤」、その狭間の「黄」という風に、場面に応じた「色分け」が行われています。
また、月の場合はその前のカットの「色分け」によって、1度目は「赤」、2度目は「青」に属する意味合いを与えています。
「色分け」によって、その場面が属するカテゴリーを示し、映像によって「語らずに語る」ことに成功しています。
話の流れを追うだけではなくて、「色分け」に注目して視聴してみるのも、おもしろいと思いますよ。
[後述による意味の判明]
こちらは、原作準拠でしょう。
初出時には、そのカットが意味するものが何かはわからないけど、後になされた描写によって、その以前のカットに込められた意味合いが判明するという構成。
式が「青い水を堕とす」場面にしても、何故、着信履歴に対して反応したのか。そこから読み取れる二人の関係。 そういうものが判明するのは後の描写によるものですし。
他にも、前半の「コーヒー」は何故、「赤」のカテゴリーに入れられているのか。それがわかるのも、最後まで観てから。
こういう構成を取っているので、たぶん一度視聴しただけでは、全ての場面を理解することは難しいと思います。
実際、僕自身もまだ一度しか観ていないので、「時計」に関する描写などを上手く掴めていませんし。
あの「時計」の描写って、時系列を表しているだけなのでしょうか?
何か、掴み損ねている意味合いがありそうな気配を感じています。
やっぱり何度も視聴した方が、より深く楽しむことが出来そうです。
映像美だけでも、それに耐えうるものを誇っていますし。
くッ、僕にDVDを買えと言うのか!? (←逆らい難い圧力を感じている)
原作未読者も既読者も、せめて第一章だけでも観てみることをオススメします。
おそらくたぶん、僕と同じで、最後まで巻き込まれることになりますが・・・。
僕はもう、この作品から逃げられません。
どうせ「浮く」のならば、自ら「飛んで」みせるさッ!
この作品を、最高に楽しんでやろうじゃないかッ!
・[DVD]
空の境界 第一章「俯瞰風景」
空の境界 第二章「殺人考察(前) 」
空の境界 第三章「痛覚残留」
たぶんネタバレなしで、感想と視聴においてのポイントなどを。
「空の境界 俯瞰風景」

まさか、ここまで興奮するなんて思いませんでした。終始ふるえていましたよ!
クオリティーの高さが半端じゃない。
こんなにも「魅せられた」作品には、本当に久しぶりに出会いました。
帰りの電車の中でも、脳内・エンドレス・リピート。 反芻っ! 反芻っ!
・[俯瞰風景]
ところで、第一章のタイトルである「俯瞰風景」。
脳内ビデオを堪能しながら、窓から外を眺め思ったのですが、電車の中における個の視点(認識)というものも、「俯瞰風景」と同質のものではないかと。
電車の内と外の「世界」においての境界。 そこに「認識」というものが・・・。
まぁ車内の俯瞰性なんてものは、取り立てて言及することでも、熟考することでもないのですが。 (というよりも、間違えてる気もする)
要は、「俯瞰風景」というものは、高い位置からの「視点」だけではなく、僕達の日常あらゆる場面、場所において存在するものじゃないかと。
この作品が描こうとしているのは、そういう日常において存在する「境界」。
あまりにも曖昧な狭間(世界)に、生と死の強烈な「閃光と衝動」を、提示しようとしているのではないでしょうか。
だから、「認識の曖昧さ」を責めるような構成を取っている。
最後のメガネ君(←名前をまだ覚えていない)のセリフも、どうやら叙述トリック的なもののようですし。
世界の「曖昧さ」を観せて、そこから、確かにある「閃光と衝動」を。
そういう作品であるように、僕の「視点」には観えました。
もちろん、第一章のみの「俯瞰」では、作品を正確に掴むことなんて出来ないでしょうから、たぶんここで書いたこともズレた「視点」なのかも知れませんが。
第一章、まだ泳ぎ始めたばかり、作品の深淵には、まだまだ遠い。
泳ぎ甲斐がありそうで、ワクワクしています。
・・・たぶん、溺れるけど。
・[レンコンは好きです]
でも、この作品の楽しみ方は、やっぱり上のように「抽象」するだけではなくて、「余白を味わう」のがポイントだと思っています。
「レンコンは穴の部分が上手い!」と言うように、「余白」を楽しむのが、こういう作品の一番美味しい食べ方じゃないかと(今のところ)考えています。
と言うわけで、7人監督制バンザイ! 第ニ章が早く観たいぞ! (←色々と尚早)
各章の違いに注目しています。 (劇場版「空の境界」は7人監督制らしい)
・[第一章 視聴ポイント]
各章で作風は変わってくるらしいので、ひとまず第一章における視聴のポイントを。
[色分け]
これは原作準拠なのでしょうか? たぶん映像化されてから、初めて付加された要素だと思いますが。
場面に応じて、それぞれのカテゴリーに応じた「色分け」がなされています。
同じ舞台でも、ある場面では「赤」を象徴的に。別の場面では「青」を。
主人公、式の服装に関しても、「青」から「赤」、その狭間の「黄」という風に、場面に応じた「色分け」が行われています。
また、月の場合はその前のカットの「色分け」によって、1度目は「赤」、2度目は「青」に属する意味合いを与えています。
「色分け」によって、その場面が属するカテゴリーを示し、映像によって「語らずに語る」ことに成功しています。
話の流れを追うだけではなくて、「色分け」に注目して視聴してみるのも、おもしろいと思いますよ。
[後述による意味の判明]
こちらは、原作準拠でしょう。
初出時には、そのカットが意味するものが何かはわからないけど、後になされた描写によって、その以前のカットに込められた意味合いが判明するという構成。
式が「青い水を堕とす」場面にしても、何故、着信履歴に対して反応したのか。そこから読み取れる二人の関係。 そういうものが判明するのは後の描写によるものですし。
他にも、前半の「コーヒー」は何故、「赤」のカテゴリーに入れられているのか。それがわかるのも、最後まで観てから。
こういう構成を取っているので、たぶん一度視聴しただけでは、全ての場面を理解することは難しいと思います。
実際、僕自身もまだ一度しか観ていないので、「時計」に関する描写などを上手く掴めていませんし。
あの「時計」の描写って、時系列を表しているだけなのでしょうか?
何か、掴み損ねている意味合いがありそうな気配を感じています。
やっぱり何度も視聴した方が、より深く楽しむことが出来そうです。
映像美だけでも、それに耐えうるものを誇っていますし。
くッ、僕にDVDを買えと言うのか!? (←逆らい難い圧力を感じている)
原作未読者も既読者も、せめて第一章だけでも観てみることをオススメします。
おそらくたぶん、僕と同じで、最後まで巻き込まれることになりますが・・・。
僕はもう、この作品から逃げられません。
どうせ「浮く」のならば、自ら「飛んで」みせるさッ!
この作品を、最高に楽しんでやろうじゃないかッ!
・[DVD]
空の境界 第一章「俯瞰風景」
空の境界 第二章「殺人考察(前) 」
空の境界 第三章「痛覚残留」
